□高校生の政治活動
□三権分立
□日米の安全保障条約と集団的自衛権
□そもそも自衛隊は憲法違反か
□憲法解釈変更
□そもそも国は何のためにあるか
□民主制度

 

高校生の政治活動
18歳以下の政治活動について、文部科学省が学校に通知を出しています。これは君たち学生や生徒に当てて出されたものではない。文部科学省の管轄下にある組織である学校に対して出されたものです。君たちは文部科学省の下部に属する人ではない。君たちは国民です。行政=文部科学省は君たち国民に奉仕する存在です。君たちが主人です。文部科学省の通知はこれまでにある法律の範囲内で、学校に命令をする作業です。新たな法律ではありません。18歳以下の国民は政治活動をしてはいけない法律は存在しません。文部科学省の通知について考えるのは学校の教員や校長であって、君たちではありません。学校外ではデモに参加しても何をしても合法的に活動する限り文句を言われる筋合いはありません。学内では、校則に従う方がいいかもしれませんが、これも生徒会を通じて変更できると思います。政治に関心があり、デモに参加している生徒でも「学校はそういうところじゃないから、政治活動は学内ではしたくない」と言う人もいるでしょう。逆に「外で何かをする勇気はないから、まずは学内で活動したい」と言う人もいるでしょう。両者への配慮が必要です。
三権分立  司法(違法か合法かを判断する裁判所。日本では法務省の下に属する)と立法(憲法や法律を作る国会。国民による選挙で選ばれる)と行政(税金を取り、政治を執行する省庁。役人や官僚とも言われる職員組織の上に、立法府から選ばれた人、主に国会議員がいて、大臣と言われる。)が互いに牽制し合うことで、独裁制・恐怖政治に陥らないようにと考えられた仕組み。これが機能するように国民や各組織が活動しなければならない。アメリカの大統領もこの三権をはるかに超える権限を持っているわけではない。
日本国の長は国民の選んだ国民の代表者である国会議員ではなく、司法の最高裁長官でもなく、国会議員が選んだ行政の監視役である内閣のトップの首相である。国会の大きな派閥は立法府の勢力だけではなく、行政府の力も持つ。
以下の疑問や意見が国民の中にあります。
a.三権分立になっていない。国民の代表者が一番偉く、力を持つべきだ。議院内閣制ではなく、首相公選制がいいのではないか?君は何が最適な制度だと思いますか?
事実‐議員から首相を選ぶ際に、国民の投票/選挙で選ぶのが首相公選制です。議員からは選ばない場合は、大統領という名称になる可能性もあります。議員でないので、党や派閥から離れて政治をできると主張する人もいます。何人かのメンバーで半年ごとに交代する国もあります。


日米の安全保障条約と集団的自衛権
日本に何かあったらアメリカが助けてくれると言う約束。様々な意見
 a.のび太がジャイアンを助けに行くようなもの。今までは憲法/ママが禁じているからいけないと断っていた。憲法を改正しても、日本は何でも言うことを聞くわけではない。当然断ることもあると言う政治家もいます。ジャイアンが「親は禁じてないんだから行こうぜ」と誘われたらのび太は断れるか。日本は憲法の禁じていないことは殆ど断れていない、弱い。君は未来の政府、首相が断れると思いますか?
アメリカのブッシュ大統領が「イラクのフセイン政権は大量破壊兵器を持っているから、攻撃しないといけない」と以前言いました。その時、日本国民は大量破壊兵器は何ですか?核兵器のことですか?という質問すらせず、応えさえ共有していませんでした。そして、アメリカは大量破壊兵器がある証拠を見せませんでした。日本はアメリカの言うことを信じてイラク攻撃に力を貸しました。どうしてこんな言いなりになったのか、証拠を見せろとも言わなかったのかという反省もしていません。ここまでは事実です。ここから先は君が考えてください。
b.警備会社に家の警備をお願いする。金も払う。今後は、警備会社が攻撃されたら、警備会社にあなたは駆け付けてください。街中で警備会社の社員が攻撃されていたら、あなたは社員を守ってください。この契約をどう思いますか?警備会社と契約をしている。家に常駐してもらっている。それが安保条約。日本は安全である。それなのに、自分から「わざわざ危険な近所の見回りをしよう」「警備会社が攻撃されたらいけないから警備会社を守りますよ」と言うのが集団的自衛権。滑稽だ、そんな阿呆な?と思う人がいます。集団的自衛権の変更により、アメリカを守れるようになるのはこういうことだと主張する人がいます。君はどう考えますか?
事実‐アメリカの兵力は断トツであり、最大の同盟国と言われる英国でさえ、実質的に兵力の助けにはほとんどならない。カナダもオーストラリアも日本も同様だ。アメリカは国連安保理のお墨付きが得られないときに、それでも多くに国がアメリカに賛同していると言う証拠がほしい。兵力ではなく、賛成票としての頭数を当てにしている。だから、ほんの数十人の部隊でも参加すれば、感謝する。日本は金を出して来て、これまでアメリカから感謝されてきた。カナダや英国やオーストラリアは隣国と紛争を抱えていない。つまり、自国防衛に兵力を割かなくてもいい。自国を留守にして中東やアフリカに出掛けても、その間に手薄になった自国を攻められる心配はない。日本はその心配がある。
c.片務的=片方だけが義務・任務を負っている、から不公平だ。アメリカは日本を助けるけれど、日本はアメリカを助けなくていい日米安保条約は申し訳ないと主張する人がいます。日本人にとっては義務がないなら有り難いことで、わざわざ負担を増すようなことを申し出るのは愚かだと言う人もいます。国際関係は冷徹なもので、自分の利益を考えればいいのだ。1900年代に英国は日本と同盟していたが、アメリカを優先して日本との同盟を破棄したから、日本は追い詰められてアメリカと戦争をすることになった。だからアメリカのことまで考えてやる必要はないと主張する人もいます。君はどう考えますか?
事実‐条約でアメリカは日本防衛の義務を負っている。その代わりに、日本は主に沖縄に基地を設置して、米軍にいてもらっている。そのための金も結構出している。つまり、互いに義務があるので、米軍は日本にいる。アメリカはお人好しではない。米軍は今までアメリカの利益のために沖縄の基地を利用してベトナムを攻撃したり、イラクを攻撃したり、日本の領海の外で活動していることが殆どだ。つまり、日本を守るためにアメリカはこれまで目に見える成果を出していない。アメリカの利益になるように基地を利用している。この条約はこれまでのところは、むしろ一方的にアメリカの役に立っている。ロシア・中国などの戦闘機が領空に近づいたり、船が領海に近づいた時に対応してきたのは自衛隊だ。実際の戦争になれば別だが、米軍が到着するまでの数日は自衛隊で持ちこたえられる。今までは何もしていなくても米軍基地があるからすぐに反撃されることを考えて、今までどの国も日本を攻撃してこなかったことは事実に近い。


そもそも自衛隊は憲法違反か
a.「こうした大きな解釈の変更をしてきたから、これからも小さな解釈の変更は問題ない」と言う人もいる(北岡伸一氏など)。違憲であったものは、今でも違憲であると主張する人もいる。病気の人の足を切断したときに、医療行為だから仕方ないと納得した。その後で、勝手に病気でもない指を切断する医師がいたとする。「足を切った時と比べれば小さなことだから問題ない」と言うのは詭弁だ、犯罪であると考える人がいる。大きな変更はいけないが、小さな変更はいいのだろうか?君はどう思いますか?
事実‐憲法の公布時に「自衛も違憲」と政府は解釈をして答弁をしていた。ほとんどの戦争が自衛と言って始められるから、すべての戦争を禁止しないと無意味だからだ。多くの歴史家は先の大戦(アジア太平洋戦争)は日本の侵略戦争と考えているが、当時の政府は自衛と言っていた。朝鮮戦争勃発で、アメリカが日本を利用するために1950年代に自衛隊を発足させた。この時、政府は「自衛隊はOK,自衛の戦争は違憲ではない」と言い出した。
b.自衛隊は(憲法が禁じている)軍隊や戦力ではなく実力と言う人がいます。政府の解釈がこれです。これは詭弁だ。論理的ではない言い訳、言い逃れだと主張する人がいます。家で鍛えているのは問題ないが、ボクシングジムに通ったら軍隊と言う、ボクサーが喧嘩をしたら戦争と言う。通常、「実力」と言うのは、何もしないでも、特別に体を鍛えなくても持っているもののことだ。例えば、成果を上げたスポーツ選手がインタビューに応える時の答えは3つある。1.「偶然です」2.「練習のたまものです」3.「実力です/才能です」。つまり、普通は実力は才能だ。大会出場を禁じられているのだから、練習してはいけない。喧嘩を禁じられているのだから、ジムに通うことはいけない。違憲である。なぜかと言うと、必要がないからだ。「武器を作って、武器を持って、武器を扱う練習をしておいて、これが実力」と言うのは詭弁である。子供だましの言い逃れである。但し、国家が禁じられているのであって、市民が鍛えることは禁止されていない。市民は武器を持つことは禁止されているから、素手で戦うことは自衛のための実力と言っていいのである。市民が武器を持ったら自衛ではないし、銃刀法違反である。ましてや国家が隊員に武器を買い与えている。戦力/武器を持っているものを国家が雇う=国家公務員にしたら、憲法違反であると主張する人がいます。君はどう考えますか?


憲法解釈変更
a.自衛のための戦争を禁じていないと言うのは「殺人はいけないと憲法で規定されているが、ナイフで刺して殺してはいけないとは書いてない」と言うのと同じだ。全ての事例を書けるわけがないから、殺人全体を禁止している。そして、殺人禁止と言うのは、ナイフも含めてのことだと解釈をして、それ以降の裁判でも同じ解釈をしている。佐藤さんには「ナイフで刺し殺したから殺人」、安藤さんには「ナイフで刺し殺すことは殺人ではない」と、裁判官が変わるごとに容疑者/被疑者が変わるごとに、解釈を変えてはいけないことは誰でもわかる。そんなことをしたら憲法や法律の意味がない。解釈を変えるなら、「ただし、ナイフで刺し殺した場合は無罪」という規則を付け加えるべきである。これが憲法の改憲、創憲などと言われるものだと主張する人がいます。君はどう思いますか?
b.憲法は国家を縛る規則である。理想を掲げるものである。現実に合わせて変えるべきだと言う人がいる。「殺人が多くなって取り締まりも大変だから、現実に合わせて殺人は合法にしよう」と言うのと同じである。現実が変化しようがそんなことには構わず、理想を守り、理想に近づくために努力するのが政府、国会議員の務めである。憲法には「憲法をしっかり守っていかなくてはいけないよ、特に国会議員と政府はね」と言う順守規定がある。憲法を現実に合わせて変えるべきだと言う態度は、この憲法の順守規定に違反するから憲法違反である。国民が憲法を変えようと言い出すのを待つべきであり、憲法改正の発議/言い出しっぺになる権利を国会議員に与えるのは禁じようと言う主張があります。君はどう思いますか?


そもそも国は何のためにあるか
地球上のほとんどの陸地は、どこかの国も所有になっている。おかしいと君は思うか、思わないか。西サハラは国を作っていない、パプアニューギニアの高地、アマゾンの密林には自分たちの暮らしの外に国があり国境があることを知らずに暮らしている人もいる。そして問題なく生きている。アナーキズム=無政府主義と翻訳するが、その翻訳は正しいのか。危険な考えと言う人が一部いる。既得権を持っている人は当然自分の旨味、地位を守りたいから、それを覆すような考えを非難し反対し危険だとみんなを説得しようとする。だから、君は自分の頭で考える必要がある。例えば、国は何のためにあるのか、できたのか。人が生まれたころ国はなかった。何かの理由があって国をつくった。動物も群れをつくる。だから、天敵から身を守るため、近隣の群れに対抗して餌を多くとるためという同じ理由で作ったのかもしれない。それでは、国のために死ぬと言うことを当たり前だ、素晴らしいことだとみんなを説得しようとする人がいるのはなぜだろう。動物が群れのために死ぬだろうか。君はどう思うか。動物は肉食獣に襲われた時、他の群れに負けそうなとき、負けたとき、逃げる。逃げられずに殺される。他の群れに入れてもらう。この選択をする。群れのために死ぬことはない。人だけが群れのためだと言って死ぬ。しかし、群れのために死ぬと言う人はいて死ぬが、群れのために死ねと他人に言って自分も死ぬ人はほとんどいない。既得権を守るために言っているからだ。人の主張のほとんどは既得権を守るためだ。誰かの為と言っていてもそれは本当は自分の為なのだと考える癖をつけておくことは、誰かにいいように利用されて使い捨てにされないために必要な態度だ。1931〜1945の間に、「お国のために死ね」「天皇陛下のために死ね」と言っていた多くの人は、実際死んでいない。言われて死んだ人の半分は民間人である。餓死や爆撃で死んだ。残りの半分のほとんどは無理矢理徴兵されて、兵隊にされて前線に送り込まれた人だ。戦争を始めた人、計画を立てていた人、大日本帝国の元首=最高責任者だった天皇は死んでいない。アメリカをはじめとした戦勝国が裁判をしたからリーダーたちの中で処刑された人(A級戦犯など)がいるが、裁判の前に日本人が自ら考えた案では、誰も死刑になるほど責任のある人間はいないと決めたので、そのあまりの無責任さに、諸外国はあきれた。大学に行けと言う親や教員は、大企業に入れと言う親はあなたの人生の責任を取ってくれるだろうか。どうやってとってくれるだろうか。時間を返し、別の企業に入れてくれたり、歌手デビューをさせてくれるだろうか。命令する人間のほとんどは責任を取らない、君はどう思いますか?そう言う命令だけしている人が「これが素晴らしい」と言うもの(大学、企業、金、国、オリンピック、国境、無人島、国籍、人種、民族、仕事、文化、技術)は君にとって本当に価値があるだろうか。君が死んで守る価値があるだろうか。君は君にとって価値があると思うものを守ればいいのではないだろうか。みんなが自分にとって価値のあるものを自分で守ればいいのではないだろうか。人にも守ってほしいと思って呼びかけるなら、人を殺して自分は生き残るのではなく、まず自分が死ぬべきではないだろうか。それは自分より価値があると本当に思っているのなら。自分よりは価値がないと思うなら、それのために他人も殺してはいけない。君はどう思う?「憲法を守って国が亡んだらどうしようもない」と言う人がいる。本当にそうだろうか?例えば、「大日本帝国のために死ね」と言っていた人は、その為に多くの人が死ぬことになったが、大日本帝国が滅亡した後も、日本国になってもその人は生きていた。君はどう思う?「あんな奴と付き合うなよ」と君は言ったことがあるかもしれない。では君は責任を取ってもっといい人を紹介してきただろうか。本当にその人の将来を考えて言ったのだろうか?君はどう思う?


民主制度〜王制でもなく、貴族制でもなく、身分によって政治をする人が決まっていない制度。独裁や軍政でもなく、一人が勝手に物事を決めたり、軍隊に属している人が勝手に政治をするのでもなく、普通の人が全員が集まって政治をする制度。「民」が「主」人の「制」度が民主制。
a.全員がと言うのが大事です。一部の人が勝手なことをして、他の人が言うことを聞かなければならないと言うのであれば、貴族制や軍政などと大して変わりません。だから、選挙の投票率が100%でないと、民主性が機能しているとは言えないと主張する人がいます。また、「多数決は必ず多数派が勝つことになっているから、不公平だ」と主張する人がいます。例えば、多数派100人の中から2人、少数派20人の中から3人を代表者として出して、その5人で話し合う。全員が納得する(満足ではないが受け入れられる)答えが出たら、それが民主制が機能していると言えるのかもしれません。君は他にどんなアイディアを思いつきますか?
事実‐オーストラリアでは投票が法律で義務となっている。投票しないと罰金を取られる。外国で出稼ぎをする国民が多い国では、投票期間中に帰って来る人の飛行機代を出す国もある。各国の投票率を調べてみてはどうですか?
b.選挙のたびに「一票の格差」が問題となる。ある地区Aでは、100人で一人の議員を選ぶ、別の地区Bでは1000人で一人の議員/地区の代表者を選ぶ。10倍の格差があるから、これは不公平だと言う主張があります。逆さまに考えてみると、Aは代表者を10人、Bは1人しか出せないということです。はっきり不公平だと分かります。完全にこれを解決する方法は、日本をいくつかの地区に分ける(小選挙区や中選挙区制度と言われます)のではなく、一つの区として扱うことです。テレビもラジオもインターネットもない時代には、街頭演説や新聞で立候補者を見極めるしかありませんでした。従って、沖縄にいる有権者/投票者が、北海道の立候補者を見極めるのは難しいことでした。今では、そんなこともないので、全国一区が可能です。この時、立候補者を選ぶ制度(選挙区制)がいいと主張する人と、誰が当選するかは政党に任せた方がいい(比例代表制度)と主張する人がいます。比例代表制度は、政党が作ったランキング名簿の上位の人から当選する仕組みです。有権者がこの人がいいと思っても、その名簿で下位にいると当選しにくくなります。他の党の名簿には載らないので、当選してから「当選前に言っていたことは全てうそです。私は人口を減らした方がいいと主張する党から立候補しましたが、本当は人口を増やした方がいいと思います」と意見を変える人を防ぐ効果があります。芸能人がよく立候補しますが、比例代表制度の場合は、人気はなさそうだけど、仕事はきっちりするんだよなあ、と言う人が当選しやすくもなります。一方で、党に投票する人が増えるように芸能人をたくさん立候補させる党もあります。この問題を君はどう解決しますか?
c.そもそも党なんていらない。党は何の役にも立っていないと主張する人がいます。党を禁止したらどうか?日本にはかつてテロがたくさん起こった時代がありました。君が議員だとして、どの党にも属していないとすると、テロを起こしそうな人たちや、軍隊に対してきついことを言えるでしょうか?なかなか言えないと言う人が多いと思います。大勢でなら言いやすい。党は集団化して結束することで、テロリストや軍政を抑える効果があるのです。党派や会派はどうなんだろう?それについては君が考えてください。
d.そもそも国民が主人公なんだから、国民がインターネット上で政策を考えて決めて、それを実行する人は官僚だ。そして監督する人/政治家を募集すればいい。政治家が政策を訴えるのはおこがましいと主張する人がいます。君はどう考えますか?仮にこれを実現するとしたらどういう点に気を付ければいいでしょうか?